• 研究会報告

Global Navigation

AACoRE > Projects > 人類社会の進化史的基盤研究

研究会報告

2009年度第3回研究会

日時:2009年7月26日(日)13時~18時30分
場所:AA研小会議室(302)
内容:
(1)暴力と表象と孤独の形態学:イヌイトのシェアリングから「贈与」と「再分配」と「交換」を再考する」(大村敬一・AA研共同研究員/大阪大学)
(2)制度としての死:その初発をめぐって(内堀基光・AA研共同研究員/放送大学)

内容の要旨/配付資料:
(1)暴力と表象と孤独の形態学:イヌイトのシェアリングから「贈与」と「再分配」と「交換」を再考する(大村敬一)
1 はじめに:目的と射程
1−1 問い
イヌイトが「野生動物は自らすすんでイヌイトに自らを食べ物として与える」とするのはなぜか?
1−2 目的と射程
(1)以上の問いに答えながら、この「自らすすんでイヌイトに自らを食べ物として与える」という野生動物の表象が、イヌイトの社会が生態環境から浮かび上がるように生成するための装置になっていることを示す。
(2)そのイヌイトの社会生成の仕組みが、人類の集団の進化史的基盤に対してもつ意味を明らかにする(「人類はシェアしようとはしない動物である」あるいは「人類は放っておくと独り占めする動物である」)。
(3)そこから、制度の問題について、どのような問いを引き出すことができるかを試みる。

2 イヌイトの生業システム:相互行為の型からみる社会集団生成のメカニズム
2−1 生態=社会関係を生成する生業
(1)何故、賃金労働をしてまで、生業に固執するのか?
 (A)獲物のシェアリングを通した社会関係の再生産と調整。
 (B)野生生物との関係を通した「大地」(nuna)との絆の再生産。

(2)野生生物との互恵的な関係(→「大地」との絆)
 (A)野生生物≠単なる資源
 (B)野生生物=人間のような姿形をした「魂(tagniq)」をもち、それぞれに自律した意志をもつ「人間ではない人物(non-human person)」。
(C)野生生物の「魂」=不滅
(D)新たな身体への「魂」の再生←適切な意図と態度をもつ人間にその身体を食べ尽くされる。
(E)人間と野生動物の関係≠「殺して利用する/殺されて利用される」という一方的な関係。
(F)人間と野生動物の関係=人間と野生生物は生業を通して相互に助け合う互恵的な関係。

(3)互恵的な関係が成立するためのハンターの適切な態度と意図(野生生物が再生するために)
 (A)野生生物に対して敬意を払うこと。
 (B)その身体を食べ物として利用する意図をもつこと。
 (C)その食べ物を独り占めすることなく、他の人びとと分かち合う意図をもつこと。

(4)イヌイトの生業=社会的な関係と生態的な関係を一挙に成立させるシステム。

2−2 「誘惑」と「信頼」:相互行為の型に仕掛けられた非対称性
(1)イヌイトと野生生物:互恵的ではあるが、非対称な関係
 (A)イヌイトが毎日、食べ物を必要とするほど、野生生物が再生する必要はない。
 (B)野生生物の側:自分が再生したいときに、自らをイヌイトに贈ればよい。
 (C)イヌイトの側:野生生物からその身体を贈られたら、常に必ず皆で食べ物として分かち合わねばならない。
  ←○そうでなければ、野生生物は再生できない。
   ○再生できないならば、野生生物は自らをイヌイトに贈る気にならない。
   ○野生生物はイヌイトに自らを贈らなくなり、食べ物がなくなる。
 (D)「命令する」野生生物と「誘惑する」イヌイト
  (a)野生生物からの命令:「我を食べ物として分かち合え!」
  (b)イヌイトの誘惑:「ここらでちょっと再生する気にならない?」
     「命令」=相手を支配する強い立場から相手に働きかける。
     「誘惑」=相手に従属する弱い立場から相手に働きかける。

(2)非対称性の効果:イヌイトの間での信頼の関係の生成
 (A)野生生物からの命令:「我を食べ物として分かち合え!」
 (B)イヌイト:皆で食べ物を分かち合わざるをえない。
   ←なぜなら、分かち合わねば、野生生物はもうやってこない。
 (C)ただし、イヌイトの間で誰かが誰かに命令することはない。
 (D)食べ物の分かち合いの効果:分かち合う相手を信頼せざるをえない。
   (a)野生生物の一つの身体を分け合って食べる関係
 =一つの対象に対して「食べる」という同じ行為を協調して行う関係
   (b)信頼の関係
 =○誰が誰に対しても支配的な立場から命令することがない相互に自律した対等な個人たちの関係。
  ○相手の食べ物を強奪したり、かすめ取ったりすることで相手を裏切ることがないということを相互に期待し合う関係。
  ○共に協調し合うという相互の意志に依存し合いながら「食べる」という同じ行為を行う関係。

2−3 「支配/従属」関係の厄介払い:野生生物との非対称な互恵的関係の効果
(1)野生生物との非対称な互恵的関係の効果
 =野生生物からの命令を媒介に、自分たちの間に支配的な立場の者が誰もいない対等な信頼の関係を成立させることができる。
支配的な立場から命令することを野生生物に託す
 →○自分たちの間で誰かが誰かに命令することを徹底的に禁止
  ○自分たちの間から支配と従属の関係を追放。
(2)イヌイトの生業
 =○野生生物と関係を築きつつイヌイトの社会集団を生成。
  ○イヌイトの社会集団から支配と従属の関係を厄介払いする装置。
(3)イヌイトの「誘惑」の社会哲学的な必然性
 (A)イヌイトは野生生物に対して常に弱者の立場に立つ必要がある。
  ←自らの間からの支配と従属の関係の厄介払い
  ※イヌイトに分かち合いを命令する野生生物への命令
  =野生生物からの命令を介したイヌイトからイヌイトへの命令
 (B)イヌイトの野生生物への誘惑
  ≠イヌイトは野生生物に対して弱者だから。
  =イヌイトは野生生物に支配的な立場を押し付け、自らの間から支配と従属の関係を厄介払いするために、弱者の立場に立つ必要があるから。
 (C)イヌイトが自らの間に対等な信頼の関係を成立させるために、「野生生物は自らすすんで自らの身体をイヌイトに贈る」(=「分かち合いの命令」)必要がある。
(4)狩猟という生産システムの自然=社会哲学的な意味:
弱者に徹して、自らの間から支配と従属の関係を厄介払いする。
 (A)狩猟と牧畜の前提の違い:自律と支配(cf Ingold 2000)
  (a)狩猟では、野生生物は支配されることも管理されることもなく、人間の意志からは自律。
  (b)牧畜では、野生生物は馴化され、支配されて管理される。
 (B)失敗した牧畜民化プロジェクト:イヌイトはトナカイ放牧を拒絶(アラスカ、バフィン島)
 (C)牧畜の導入=野生生物からの命令を介したイヌイトからイヌイトへの支配の導入。
 (D)イヌイトのハンターは自らの仲間に対して支配的な立場に立つことがないようにするために、野生生物に対しても弱者の立場に立って誘惑を仕掛ける他に選択肢がない。
(5)イヌイトの知識の特徴の自然=社会哲学的な意味:弱者の誘惑の技としての「戦術」
 (A)戦術(セルトー 1987)
  =(a)自分よりも強い相手の支配の下で、その相手に組みしかれたまま、その相手との関係の中に一瞬あらわれる機会をつかみ、その機会を利用して自分の目的を達する機略
   (b)圧倒的な力をもつ相手の支配に甘んじながら、相手の動きを利用しつつ相手を誘導したり、一瞬の間合いに相手の動きに介入したりすることによって、自他の力関係を逆転(「柔よく剛を制す」柔術)。
 (B)誘惑の技としての戦術:相手の自由を侵害することも、相手に何かを強要することもなく、自分に対して相手が自らすすんで欲望するように相手の意志を誘導。
   ←戦術にあっては、自由に行為している相手の動きがうまく利用されるため、相手は最後まで自らすすんで主体的に行為していることになる。(C)イヌイトの野生生物に関する知識
=弱者の誘惑の技としての「戦術」に基づく知識(大村 2003; 2005; 2007a; 2008)

2−4 「分かち合い」の効果:「信頼の関係を通した経験の共有」と「野生生物との関係の再生産」
(1)信頼の関係を通した経験の共有
 (A)信頼の中で協調して行為する社会集団の生成(=相互に信頼し合って協調することが可能になる)。
 (B)野生生物を戦術的に誘惑する手だての共有(≒野生生物から贈られた食べ物を共に食べるように)。
(2)野生生物との関係の再生産
 (D)野生生物を誘惑する手だてのストックは豊かになる。
 (E)新たな野生生物の個体と遭遇したときに、その野生生物と「食べ物の贈り手/受け取り手」の関係に入る可能性の向上。
(3)野生生物の「魂」=イヌイトと野生生物の間の「食べ物の贈り手/受け取り手」の関係
(4)野生生物の「魂」の新たな身体への再生
  =「食べ物の贈り手/受け取り手」というイヌイトとの関係が新たな野生生物の個体との間に再生することで
(5)野生生物から贈られた食べ物を分かち合って食べ尽くさねばならない理由
  =自分たちの間に相互に信頼し合って協調する関係を築くことによって、野生生物を戦術的に誘惑する技のストックを共有して豊かにし、きたるべき次の生業活動にそなえるため。
2−5 「大地」との絆という「ハイブリッド・オートポイエティック・システム」
(1)円環を描く「人間」と「非人間」(野生生物)の連関が、オートポイエティックに展開し、「人間」と「自然」がハイブリッドした「真なる食物」なるキメラが生成され、野生生物という「非人間」とイヌイトという「人間」が共に生活する「大地」という共同体が生成される。
  ①イヌイトが野生生物を誘惑。
  ②野生生物が誘惑にのって、自らの身体をイヌイトに与える。
  (=野生生物からイヌイトへの命令:「我が身体を<食べ物>として分かち合え!」)
  ③野生生物の命令に従って、イヌイトたちが「食べ物」を分かち合う。
  ④イヌイトたちの協働。(=イヌイトの間での信頼と協調の社会関係の発生)
  ⑤イヌイトたちの間で野生生物を誘惑するための戦術的な技を共有して錬磨。
  ⑥①に戻る。
20091113-03_01.jpg
(2)この「イヌイトの生業」という「ハイブリッド・オートポイエティック・システム」は、イヌイトの弛まない努力は必要とするものの、外部からの影響を取り込みつつ、自律的に成立する。
①ハイブリッド:「人間」と「非人間」を動員する「自然」と「社会」の混合。
②オートポイエティック:円環的な自己生成的な作動によってのみ生成し、外部から自律しつつ、外部からの影響を取り込む。(どんなに機械化されても、システムの作動さえ維持されていれば、問題なく作動する)
20091113-03_02.jpg
3 集団生成の原点としてのシェアリング:イヌイトの生業システムが教えること
3−1 「人類は分かち合おうとはしない動物である」(「人類は普遍的に独り占めしようとする動物である」)
(1)イヌイトは当然のこととして食べ物を分かち合っているのではない。
(そうしなければ、その食べ物を贈らないという野生生物からの厳しい命令のもとで分かち合っている。)
(2)少なくとも一つでも、分かち合いに命令を必要とする社会があるということ
  →分かち合い≠人類にとって当たり前の必然
  =何らかの規範を必要とすること
(3)食べ物の分かち合いという行為
  ≠普遍的な人類の生物学的な自然状態(e.g., 食べるという行為)
  =不自然で人工的な行為なのである。
3−2 人類の論理的な自然状態と人類が集団を生成するために必要なこと
(1)人類は自分で自分を自足的に再生産するわけにはいかない。
(2)自分を再生産するために自分以外の他者から食べ物を調達する必要がある。
  人間=○定常的な欠乏の状態にある
     ○その欠乏を埋めるために他者から食べ物を調達しなければならない。
(3)食べ物を調達する困難
 (A)野生生物
  =生物の必然として生きようとし、自らすすんで死んで他者の食べ物になろうとはしない。
 (B)すでに食べ物を何らかのやり方で手に入れた人類の他者
  =自分がすでに手に入れた食べ物を自らすすんで手放すことはない。
  ←分かち合わずに独り占めするのが普通
(4)人類の論理的な自然状態:相互に食べ物を奪い合う状態
 (A)相手が人類であろうと野生生物であろうと、周囲の他者から食べ物を常に奪わねばならない。
 (B)人類の誰もがそうなのだから、人類は食べ物を相互に奪い合う関係にあることになる。
 (C)周囲の他者はいつ何時、自分から食べ物を奪うかしれない潜在的な敵。
 (D)生きるために最低限に必要な資源をめぐって常に周囲のすべての他者と相互不信の状態。
(5)人類が集団を生成するために必要なこと
  =食べ物をめぐる相互不信の状態から脱却するための人工的な仕組み

3−3 分かち合わない外部の他者:人類が対等な関係で結ばれた集団を生み出すために必要なこと
(1)食べ物の分かち合い
 →(A)相互に相手を潜在的な敵とみなす相互不信の状態の終結。
  (B)相手が自分の食べ物を奪わないという信頼のもとで協調する状態の実現。
  (C)自律した個体が相互に依存する対等な関係の実現。
(2)何らかの強制=分かち合いを実現するために必要なこと
 ←食べ物の分かち合いは人類の本性ではなく、むしろ奪い合いが普通
(3)強制を集団の外部からのものとする必要
 ←強制を人類の社会集団の中の誰かがしてしまうと、その強制によって生まれる集団は対等な関係の集団ではなく、分かち合いを強制した者によって支配される集団になってしまう。
3−4 贈与の起源:誘惑の応酬と分かち合い
(1)イヌイトの解
 (A)外部からの強制を自分たちが食べ物を分かち合わない野生生物に委託。
  =野生生物に自分たちへの分かち合いの命令を託す
 (B)自分たちの間に対等な信頼関係を生み出すことを実現。
(2)贈与による解(分かち合いの命令を求める人類の集団がいくつか隣り合っている場合)
 (A)常に相互に相手の集団から食べ物を手に入れるようにする。
 (B)どちらの集団においても、相手の集団から食べ物を手に入れるためには、自分たちの集団の中では誰もが等しく食べ物を放棄せねばならなくなる。
 (C)裏返しのかたちでではあれ、食べ物の放棄という行為の分かち合いが集団の外部から命令されることになる。
 (D)贈与における「受け取る義務」と「返礼の義務」(モース 1973)
  =食べ物を贈与し合う集団が、集団の内部での資源の等しい放棄と分かち合いを相互に命令しあうために、二次的に生じてくる現象。
(3)贈与という集団間のコミュニケーションの起源
  ≠閉じて自足した集団に資源の自家消費の禁止によって欠乏を生じさせ、孤立した集団間にコミュニケーションを生み出すために生じる。
  =(A)食べ物を分かち合って対等に信頼し合う個人の集団を生み出すために、その分かち合いの命令を自らの集団の外部に求める運動。
20091113-03_03_1.jpg
(4)食べ物の分かち合いによって生み出される対等に信頼し合う個人の集団
 =(A)集団の生成のはじめの契機から自らの外部を求めている。
  (B)孤立した閉じた集団ではなく、外部とのコミュニケーションを常に求めている。
(5)「闘争の互酬性」から「愛の互酬性」へ
  (A)贈与という相互行為の様式←イヌイトと野生生物の「誘惑/命令」の関係からの変換
  (B)「贈与体制とは挑戦の応酬体制であり、闘争の互酬性である」(今村 2007: 406)
  →「贈与体制とは誘惑の応酬体制であり、愛の互酬性である」
  (C)この命題の変換=社会生成の「闘争モデル」から「愛のモデル」へ
(6)社会生成の原動力:「贈与」から「分かち合い」へ
  (A)従来の議論での社会集団生成の原動力=贈与(eg., 今村 2007; 小田 1989; 1994)
  (B)贈与の基底=資源の「分かち合い」、とりわけ、食べ物の「分かち合い」をめぐる力学
  (C)新たな問い
 =資源の「分かち合い」をめぐる力学を原初的な起動力にしながら、贈与をはじめ、再分配や等価交換などのさまざまな交換のかたちが成立してゆく過程を追跡し、人類の社会集団の進化史的な論理的展開を今日の資本制社会にまで跡づける作業。

3−5 「食べ物の分かち合い」と「集団の外部の表象の分かち合い」の同時性と相互依存性
(1)イヌイトが食べ物を分かち合う命令を野生生物に託すことを可能にしているもの
  =「誘惑すべき支配的な立場の者」として野生生物の表象
 (≠実際に野生生物がイヌイトを支配して命令している)
 (A)野生生物という自らの集団の外部の表象。
 (B)イヌイトの生業のメカニズムが成立。
 (C)食べ物を分かち合うという不自然な行為が可能になる。
 (D)対等な立場で信頼し合って協調するイヌイトの社会集団が生じる
(2)外部の表象が集団の内部で分かち合われる必要性
  ←外部の他者から命令されているという表象が、集団のある一人によって唱えられたところで、その表象がその集団の内部で分かち合われなければ、その表象を唱える個人は、分かち合おうとすることが普通ではない他の人びとの中にあっては、ただ自らの食べ物を奪われるだけになってしまう。
(3)しかし、そもそも食べ物を分かち合おうとしない人びとが、外部からの分かち合いの命令という表象を分かち合おうとするはずがない。
(4)したがって、「食べ物の分かち合い」と「表象の分かち合い」は、相互に絡み合った状態で一挙に成立する他にない。
(5)それでは、表象の分かち合いとは何か?

4 文化的な表象による分類:環境の価値(アフォーダンス)の開示と隠蔽の装置
4−1 アフォーダンス
アフォーダンス=身体運動を通して自己と環境の関係を調整することで現実化される環境に実在する潜在的価値。
4−2 文化的な表象による分類の効果:「価値」を「開示/隠蔽」する「意味」の発生
(1)「ゴキブリは食べられるものである」という潜在的価値
ゴキブリは潜在的に「食べること」をアフォードする。しかし、適切な身体運動を通して、適切な関係、すなわち「食べるもの/食べられるもの」の関係に入らないと、この価値(アフォーダンス)は顕在化しない。
(2)「ゴキブリは<食べもの>である」という文化的な表象による分類
  =「食べること」をアフォードするという潜在的な価値(アフォーダンス)を開示し、その表象を共有する人々に「食べる」という行為を動機づける。
(3)「ゴキブリは<食べないもの>である」という文化的な表象による分類
  =「食べること」をアフォードするという潜在的な価値を隠蔽し、その表象を共有する人々が「食べる」という行為を行う動機をあらかじめ排除する。
(4)「食べられるもの」の「食べもの/食べないもの」への分類の効果
  =「食べること」をアフォードするという潜在的価値を「開示/隠蔽」することで、「食べる」という行為への動機づけを「起動/遮断」する。
(5)文化的な表象による分類の効果
  =ある対象の潜在的「価値」を「開示/隠蔽」することで、ある行為への動機づけを「起動/遮断」する「意味」を発生させる。
  ※「価値」と「意味」の違いについて(?)
 (A)価値=ある特定の生物個体に環境がアフォードすること。その生物個体と環境の相互行為によって現実化する実在的な可能態。
 (B)意味=人間がコミュニケーションの連鎖によって生成して維持する社会的な構築物。

5 文化的な表象による制度化:「野生生物からの<分かち合い>の命令」が意味すること
5−1 「野生生物からの<分かち合い>の命令」の内実
(1)「分かち合い」の命令
  =「私が食べ物になるのは、あなたがたが共に分かち合う場合に限る」
分かち合わなければ、私はあなたがたに獲られはしないだろう)
(2)「環境との関係づけ」と「他者との関係づけ」の両立を一挙に固定して制度化。
 (A)「環境との関係づけ」=「私が食べ物になるのは」
  →「活動の前提的枠組みの共有」
 (B)「他者との関係づけ」=「あなたがたが共に分かち合う場合に限る」
  →「敵対的な行為接続の回避」
5−2 文化的な表象による制度化(社会集団の柔軟な安定的再生産)
(1)「活動の前提的枠組みの共有」と「敵対的な行為接続の回避」を促進するのに有効なこと
 (A)「食べもの」という文化的な表象による分類の共有
  =「食べること」をアフォードするという潜在的な価値(アフォーダンス)を開示し、その表象を共有する人々に「食べる」という行為を動機づける。
  →「活動の前提的枠組みの共有」の促進
  →「活動の同調と競合関係の顕在化」の促進
  →「敵対的衝突の可能性が現実的なものとなる共存状態において、仲間と適切な関係づけを行う」必要の促進
  →「敵対的な行為接続の回避」の必要性の促進
           ↓
 (B)「分かち合い」の命令による「敵対的な行為接続」(奪い合いの行為接続)の禁止
  →「分かち合い」による「拡大家族」の成立
  →「拡大家族」における「食べもの」という文化的表象による分類の共有
 (C)「拡大家族」(ilagiit)という文化的な表象による分類(1)
  ←「食べもの」という文化的な表象による分類の共有+「分かち合いの命令」の共有
 (D)「拡大家族」(ilagiit)という文化的な表象による分類(2)
  =「敵対的な行為」をアフォードするという潜在的な価値を隠蔽し、その表象を共有する人々が「敵対的な行為」を行う動機をあらかじめ排除する。
  →「敵対的な行為接続の回避」の促進
 (E)「活動の前提的枠組みの共有」と「敵対的な行為接続の回避」を促進するのに有効なこと
  =(a)「食べもの」という文化的表象による分類の共有
   (b)「分かち合いの命令」の共有
(2)社会集団の制度化に対するイヌイトの解
 (A)「拡大家族」(ilagiit)という文化的な表象による分類に、「食べもの」という文化的表象による分類が先行する。←「拡大家族」は「食べもの」を分かち合うことではじめて生じる。
(「食べもの」を分かち合わない限り、「敵対的な行為接続の回避」が促進されない)
 (B)文化的表象による「食べもの」の分類と「分かち合いの命令」の重ね合わせ
 (C)イヌイトにとっての「食べもの」の定義
  =「分かち合いを命ずるもの」(「分かち合わねば、食べものは食べものにならない」)
  →「分かち合いを命じないものは<食べもの>ではない」(e.g., 「白人の食べもの」)
 (D)「拡大家族」の成員=「分かち合いを命ずるものが食べもの」であるという文化的表象の分類を共有する者。
 (E)「拡大家族」が生成する前提=「食べもの」(=分かち合いを命ずるもの)という文化的表象の分類の共有。
 (F)「拡大家族」の柔軟な制度化
  (a)「食べもの」という文化的表象の分類を共有しているが、分かち合うことによって、その文化的表象を現実化して「拡大家族」の成員になるかならないかは、当人の意志に任される。
  (b)「拡大家族」は「分かち合い」という行為による「食べもの」という文化的表象の分類の現実化によって決まるので、「拡大家族」の境界は常に変動する。
  (c)「食べもの」という文化的表象の共有が「拡大家族」ゲームの前提条件。
5−3 「野生生物からの<分かち合い>の命令」が意味すること
(1)「拡大家族/それ以外」という文化的表象による他者分類の前提
  =「食べもの/それ以外」という環境の文化的表象による分類の共有
(2)「食べもの」の分かち合いの実践(本来は分かち合わない者が分かち合う)
  =「食べもの/それ以外」という環境の文化的表象による分類の共有の確認。
(3)「食べもの」という文化的表象の共有の確認
  →「分かち合い」の実践をカードに「拡大家族」への柔軟な出入りが可能になる。

6 おわりに:暴力と表象と孤独の形態学
6−1 暴力を追放して隠蔽する制度:イヌイトの生業システム
(1)出発点:「人類は分かち合おうとしない生物である」=奪い合いの暴力状態
(2)「集団の外部へと分かち合いの命令を託すこと」という暴力による「奪い合いの暴力」の封殺
  ←(a)分かち合わないのが普通な生物に分かち合いを強要する。
   (b)結果として、集団という内外を分ける線が引かれる(AとナルAの区切り)。
   (c)その命令を外部に排除した者に勝手に押しつける。
(3)暴力の発生←集団を生成するという集団の内部の論理
(4)暴力の集団外への排除=暴力の行使は集団外に表象される他者(野生生物)に託す。
  ←暴力を集団内で行使してしまうと、集団内の対等な信頼関係が破綻してしまい、支配と従属の関係になる
(5)内部からの暴力の追放
  =本当は集団の内部の論理から発生するのに、常に集団の外部からやってくるということになる。
(6)外部からの暴力の隠蔽
  ←「野生生物は自らすすんでイヌイトに自らを与える」という表象
6−2 イヌイトの感情生活の基底:「自律への欲求」と「孤独への恐怖」
(1)イヌイトの理想的なパーソナリティ:相反する分別と慈愛のバランス
 (A)「分別(ihuma-)」=個々人の意志と自律性への欲求と尊重=Stand Aloneへの欲求と尊重(→見栄と面子)
 (B)「慈愛(nagilik-)」=穏やかに語り合うこと、共に笑うこと、助けること、分かち合うことを通した社交性
6−3 集団生成の駆動力としての恐怖:「自律への欲求」と「孤独への恐怖」
(1)「人間は分かち合おうとはしない動物である」(分かち合わなくても何とかやっていける)
  →「自律への欲求」:自律した単独者として生活する可能性と欲求(黒田論文、内堀論文)
(2)「野生生物からの<分かち合い>の命令」(分かち合わねば、食べものがなくなる)
  →「孤独への恐怖」
  →「嫌われたくない」という欲求 →予防的な慈愛
  →「自律性への欲求」の抑制
(3)虚構としての「野生生物からの<分かち合い>の命令」
  =実は、分かち合わなくても、食べものがなくなるわけではない。
(4)虚構が露呈することへの恐怖
  =「自律した単独者同士の奪い合い」への恐怖
  (cf 神話にはカツアゲ、ダマシ、殺し、奪い合いのテーマが多い)
  →自らすすんで「野生生物からの<分かち合い>の命令」という虚構を受け入れる。
6−4 誰に暴力(=分かち合いの命令)を押し付けるのか?(原国家という問い?)
(1)分かち合おうとはしない人間に分かち合わせる二つの方法
 (A)暴力(分かち合いの命令)を外部に放り出すやり方
  (a)「分かち合い」:狩猟・採集(とってくる=与えられる)。
  (b)「贈与」:生産がはじまる(生産による人格的所有と譲渡の意味の発生)。
  ○分業は不可能:相互にすべてを与え合うためには、それぞれ自己充足できることが前提。
 (B)暴力(分かち合いの命令)を内部でまかなう
  (a)「再分配」=集団内部の一人の人間に暴力を集中させる。
  ○暴力=皆からすべての食べものを奪い、皆に食べものを分かち合うことを命令する。
  ○分業が可能になる←再分配の過程で自己の欠如を埋めることができる。
  (b)「交換」=集団内部の人間のすべてが、残りのすべての人間に対する暴力を共有する。
  ○暴力=全員が全員に対して、相手の食べものの部分を奪い、自分の食べものの部分を与えることを強要する。
  ○分業が前提になる:自分には欠如があることが前提(欠如分と余剰分を交換)。
(2)二つの方法における方向性
 (A)外部に放り出すやり方(国家に抗する社会)
  ○マゾ型社会(←自己の存続のために、外部からの命令を常に必要とする)
  ○暴力を集中させるための他者を求め、他者を他者のまま留めようとする。
  ○非拡張型社会(寂しがり屋の社会)
  ☆分かち合い型:「嫌われたくない」社会
  ☆贈与型:「見捨てられたくない」社会(贈与の応酬は誘惑の応酬)
 (B)内部でまかなうやり方(国家を志向する社会)
  ○サド型社会(←自己の存続のために外部からの命令を必要とせず、外部は単に取り込まれて支配されるべき対象であり、サディスティックに内化してゆくべき空白)
  ○暴力は自己の内でまかなえるので、他者は必要なく、他者を自己に取り込んでゆこうとする。
  ○拡張型社会(自己愛的な社会)
  ☆再分配型:「むちとあめが好きな社会」?
  ☆交換型:「独善者の社会」?(相手もきっと自分と同じと思い込む)
 (C)Aは他者を知り、他者を求める故に愛を知り、Bは他者を知らず、自己を求める故に欲を知る。
(3)「誰に暴力を押し付けるか」に対する解のあり方で、制度のあり方はもちろん、表象や感情のあり方も方向づけをうける? 
  →暴力と表象と感情の形態学へ


(2)制度としての死──その初発をめぐって(内堀基光)
以下が本共同研究会において内堀が追究していこうとするテーマのアウトラインである。

 1. 死はどこからどこまでが「制度」か
  「死ぬこと」と死(意味領域としての死)
  「そこにある死体」と「そこにない死者」
  表象としての死者と、死者の表象
  制度による死の否定、死の否定としての制度(文化)
  制度の時性:前からあって、後にもあろうものと意識される。しかし「自然」的に与えられたものではない、と認識されている。その意味で、もちろん「規則」ではない。

 2. 制度としての死の初発について(ここを中心的にライブラリーワークとして追究する)
  人間以外(とくに霊長類)における「死ぬこと」をめぐって
  「埋」と「葬」との懸隔
  ネアンデルタール人論争
   ホモサピエンス・ビッグバンの虚実の程度
   芸術の発生と死の初発
   古人類学と先史学はどこまで解明しうるか
   言語:cf. 2005年赤澤、2009年Max Plank Inst.言語遺伝子
 言語の初発と死
   上にもかかわらず、言語中心主義の罠があり、それをどう乗り越えるか
 他界という想像力
   身体でないものへの転移
   人格のどの側面をどのような非身体に転移させるかの異同
   
 3. 死の(社会的)機能(この部分はかなり凡庸でしかありえないが)
  制度としての死の社会的機能/
  制度以前と制度を越えるものとしての死の意義と機能
   ひとつの個体、複数の個体、個体の集合と時間の有限
    死の制限下での互酬性
    死者を含む社会、延長された社会
   死の反転としての未来
    遺された者たちのbereavementとしての死後
   不死の追究のあり方
    とくに現世の権力との関連で
    Bicentennial Man と火の鳥とロビタに見られる逆ベクトル性