• 研究会報告

Global Navigation

AACoRE > Projects > 人類社会の進化史的基盤研究

研究会報告

2009年度第6回研究会

1) 田中雅一「儀礼化をめぐってー制度への実践論的アプローチ
【要旨】
本論の目的は、儀礼の性格について考察することにある。その際、制度を集合的、匿名的視点から論じるのでなく、制度を過程processとして論じる実践論の確立を試みることである。儀礼は制度のひとつであるが、同時にその外にあってさまざまな(儀礼以外の)制度の存続を可能にしている。その意味で儀礼はメタ制度とでも言える地位にある。本発表では儀礼の実践論的視点から論じるうえで、またその特権的な位置を考えるうえで重要と思われる「儀礼化ritualization」という概念に注目する。
Bellは、日常的な行為と完全に区別できないにもかかわらず、形式性のような特質をもつ儀礼的行為がその実践を通じて文脈を変貌させ、きわめてユニークな実践へと変貌することに注目し、それこそ儀礼化の特徴であると考えた。ベルは、儀礼化を論じるに当たって「聖」とか「人間の力を超えている現実」に言及することで、儀礼の宗教性を強調しているかに見えるが、それはあくまで儀礼化という行為そのものが生み出すのであって、聖が最初から想定されているわけではない。儀礼化という行為が神をいわば作りだす、とベルは主張しているのである。
HamphreyとLaidlowも同じような発想から、儀礼の特質を明らかにしようとしている。かれらは、ジャイナ教の礼拝行為を分析対象とする。人びとは、専門家や自身と同じ一般民衆の礼拝行為を見よう見まねでおこなう。そこには、さまざまな多様性が認められる。にもかかわらず、誰に聞いても、どれが礼拝でどれがそうでないかを指摘することができる。そこには、地域的な文脈で、ある行為を礼拝とみなす慣習conventionsが存在するからである。
人びとは儀礼をおこなうという意図をもって、慣習的な形式にしたがって行為する。しかし、この「慣習的な行為」は慣習に従うからといって均質で透明なのではない。さきに指摘したようにその動機は多様なのである。ここで言う意図や動機は儀礼の意味と重なる。かれらは、ジャイナ教徒の調査を通じて礼拝をおこなう人びとの意図が多様であることを発見し、儀礼には本来意味などない、と結論する。この論法がはたして正しいのかどうかは別として、形式的な行為を実行するにあたって重要なのは、その形式性であって意図(内容)ではない、ということをここでは確認しておきたい。
ハンフリーらはいかなる行為も儀礼化を通じて儀礼となる、と主張する。それでは儀礼化とは何なのか。かれらによると、儀礼化の特徴は行為の形式性と規則性である。形式性は、人間の意図と行為の意味とは密接に関係しないということを意味する。とはいえ、執行者がきちんと儀礼をおこなえるかどうかは、あくまでその関与(コミットメント)次第である。儀礼は、当事者が存在するが、その行為はつねに当事者にとって外在的である。儀礼化に、目的合理的な行為の効率化や工夫、改善と言った余地はない。ただし、儀礼化において人びとは規則的行為に盲目的に従うということを意味しない。主体的な行為を通じて、それが形式的であるゆえに脱主体化するのである。
制度を、儀礼ではなく、儀礼化という実践概念で理解しようとする理由は、制度の匿名性、集合性を前提とするのではなく、よりミクロでインタラクティヴな視点、つまり個人的な行為という視点から見ようとする立場と関わっている。
 儀礼化という実践が言葉使いから挨拶行動など日常生活においても重要な役割を果たしていることは明らかである。ベルやハンフリーらは宗教的な儀礼を第一に考えているが、儀礼化という実践に注目すると、そのような限定はむしろ矛盾するように思われる。むしろ、その非宗教性こそが、儀礼の特権的地位を保証するのである。以上から儀礼化という概念は、冒頭の二つの目的、すなわち制度分析における個人の視点と儀礼の特殊性を考える上で重要と思われるのである。

引用文献
Bell, Catherine1992 Ritual Theory, Ritual Practice. Oxford: Oxford University Press.
Humphrey, Calorine, and James Laidlaw eds. 1994 The Archetypal Actions of Ritual: A
Theory of Ritual Illustrated by the Jainrite of Worship. Oxford: Clarendon Press.

【配付資料】
内容
1 はじめに
2 制度と儀礼
3 儀礼研究の系譜
4 儀礼化
5 おわりに

1-1 目的とアプローチ
• 儀礼の特権的位置 メタ制度としての儀礼
• 過程的アプローチ
インタラクション、個人、行為論
• 政治集団から政治過程へ
親族集団からrelatedness へ
• What からHow へ


1-2 人類学のパラダイム
1-3 4象限モデルのその後
21世紀社会:グローバル化とその対応、多様なスケープ、ポストコロニアリズム、環境、生命、生殖技術、身体、生権力、公共・親密圏の変容、省察的他者

2‐1 制度=規範の慣習性
塩原勉「制度」『小学館 日本大百科全書』
• 複合的な社会規範の体系を意味する。端的にいえば規範の複合体である。社会規範とは、 社会生活に一定の拘束を加えて統制する規則のことであって、人々の社会的行為を具体的に規制するものである。社会規範には慣習、習律、法などが含まれている。このような意味での社会規範の複合体を制度というのである。たとえば、婚姻制度という場合、そこには見合いや恋愛といった配偶者選択の慣習があり、結納という交換的な儀礼、結婚式と披露宴に関する習律があり、婚姻の届出という法がある。それらの複合的全体として、婚姻制度が成り立っている。

2‐2  制度の機能主義的説明
• 制度は、社会的に承認された行為規則を提供してくれるので安全かつ効率的に欲求を充足する手段になり、混乱を規制することにより社会の秩序維持に寄与している。社会規範の複合体が、第一に、社会の成員の多数によって受容され、第二に、逸脱に対しては制裁が加えられることで保障され、第三に、個々人の人格形成のなかで内面化される場合には、その規範の複合体は「制度化」されているといわれる。まさに制度化は社会の秩序と統合にとって基本的である。・・・以下略

2‐3  メタ制度としての儀礼
• 儀礼は制度のひとつであるが、同時にその外にあってさまざまな(儀礼以外の)制度の存続を 正当化という形で可能 とする。

2‐4  儀礼と法
• 伝統社会における儀礼から近代法治国家における法へ e.g. ジラール

2‐5  二元論的スキームと診断的態度
• 儀礼(慣習)vs法
• 宗教vs政治
• 非合理vs合理
• 伝統vs近代

3‐1 儀礼の隠された役割・意味を求めて
• 当事者の意図・目的と結果との齟齬
• その齟齬を解決するのが社会科学的説明
• 機能主義 当事者が意識していない目的や効果を明らかする。
• 象徴分析 なぜそのような「誤解」、あやまった因果関係が生まれるのかを説明する。

3‐2  構造機能主義           
• ラドクリフ=ブラウン
• 儀礼⇒厳粛で集合的な感情⇒社会的連帯
• 儀礼はある種の感情の規制された象徴的表現とみなすことができる。それ故儀礼は、社会構成が依存している感情を規制し、維持し、世代から世代へ伝達する効果を持っている場合に、またその程度にまで、特定の社会的機能を持っているということを示すことができる[ラドクリフ・ブラウン 1983:217]
• この儀礼の社会的機能は明白である。すなわち感情を厳粛に、集団的に表現することによって、社会的連帯性が依存しているそうした感情を、儀礼は再確認し、再生させ、強化するのである[ラドクリフ・ブラウン 1983:225]

3‐3 集合的激昂
(effervescence collective)
• デュルケム『宗教生活の原初形態』(1912)

3‐4  ターナー、構造と反構造
• 構造 地位や集団の所属などに関する規則や慣習に縛られて生きる社会的世界である。
• 反構造(anti-structure) 境界や周縁と結びついていて、構造を規定するような規則が弛緩している世界、個人の利害関係によって動機づけられていない全人格的な結びつきが可能となるような世界
• 二つの儀礼 
反構造的調停儀礼と構造的権威正当化儀礼

3‐5 ブロックの儀礼論 政治的分析 
• 反構造=認知の破壊
• 構造=政治体制の正当化

• 二つの言説 形式的な語りと命題的語り
• オースティン
行為遂行的発言の力(performative force)あるいは発語内の力(illocutionary force)
• 命題言明的な力(propositional force)
世界について自由に描写したり、自分の意思を表明したりする言語能力が減少する
• 儀礼化論へ

3‐6  タンバイア の儀礼論
• サール(John Rogers Searle)の 二つの規則
• 構成的規則(constitutive rules)
ある行為が規則とは独立しているのではなく、それによって生み出される(構成される)、そのような規則を意味する。 Cf. 通過儀礼
• 統制的規則(regulative rules)
その規則から独立している行為、たとえば稲作や食事についての規則であり、それは規則なしでも実行可能である。Cf. 農耕儀礼

3‐7  儀礼の象徴分析
• 死と再生
• 太古のできごとの再生
• エリアーデ、ジラール、ターナー

3‐8 スリランカ・カーリー女神祭祀 

• 秋の10日間
• 縁起 19世紀半ばに村を襲った熱病。カーリーがある老人に憑依して、寺院を建てて崇拝すれば村は助かる、と告げた。熱病は女神がもたらす厄災であり、病人は女神の憑依状態を表す。
• 初日の夕刻 海から女神を勧請する。
• 3日目から女神に憑依された霊媒が村をめぐる。村の家々には、女神の到来を示すインド栴檀の葉っぱが塀にかけられている。これは女神の到来を表すと同時に村における伝染病の流行を意味する。
• 10日目の昼前、黒山羊の供犠 供犠祭主としての寺院管理委員会委員長
• 女神の帰還、山車の巡行、秩序の回復
• 熱病=女神が10日間村を席巻するが、供犠のあと海にもどり、代わって寺院に常時安置されている女神が村をめぐる。
• 反構造から構造へ
縁起をしめす壁画1
縁起を示す壁画2
縁起を示す壁画3
カーリー寺院
調査地
調査地
調査地

3‐9 機能主義、象徴分析、政治機能
• 出来事の再演
• 村の危機と統一
• 供犠祭主( 漁民カースト) と権力の正当化

4‐1  儀礼の特徴
• 「社会慣習として、形式を整えて行う礼儀。礼式」(岩波書店『広辞苑 第五版』)
• 「1慣習によってその形式が整えられている礼法、礼式。2一定の形式にのっとって行われる宗教上の行為」(小学館『大辞泉』)。
• 1)慣習性、2)形式 、3)宗教性 、4)繰り返し 、5)規則性、6)伝統主義・過去遡及性

4‐2  儀礼化1 ritualization
• Catherine Bell
儀礼化とは、ほかの、より日常的な諸活動から、これからなされることがらを区別し、特権を与えるように計画されかつ見事に整える行動方法である。そういうものだから、儀礼化は、ある行動をほかの行動から区別し、聖と俗の質的な区別を創造しかつ特権化し、またそうした区別を人間の力を超えていると思われる現実に帰属させるような文化的に決まっているさまざまな特別戦略である[Bell  1992:74] 。
• 聖の構築的性格

4‐3  儀礼化2
• Jane Atkinson  パフォーマー中心の儀礼
(performer centered ritual) と典礼中心の儀礼(liturgy centered ritual)
• Humphrey and Laidlaw のジャイナ教礼拝の分析 行為者なしに行為はないが、意図は欠如(意図は多様) 。

4‐4 儀礼化2 
Humphrey and Laidlaw
• 儀礼ではあなたはあなたの行為の権威authorではないという考えは、不十分である。あなたの行為は意図的ではないという意味で、この考えは正しいが、そうした行為がたんにあなたに生じたというわけでもないからだ。これには二つの要素が存在する。まず明らかな点は、これらの行為を実際に遂行するのがあなた自身としてのあなたである。・・・もうひとつの点は、儀礼としてあなたの行為を遂行する意図をもってあなたの行為を儀礼化されたものとして構築するのもあなたである。それによって、あなたはしばらくのあいだ行為の権威者ではなくなることを意味する。あなたは、「意図をもつ主権者」とでも呼べるエイジェントから一歩離れる、あるいはその執行を延期する。放棄するというのではない。これら二つの理由から、儀礼行為が意図を外すという事実から、儀礼行為が、ぼんやりして顎を掻くといった非行為non-actionsとかなにかを不器用にひっくり返すような故意でない行為unintentional actionsを意味するのではない。儀礼においてあなたはあなたの行為の権威でありまた権威ではない[Humphrey and Laidlaw 1994:99]

4‐5  儀礼化3
• 個人と社会をつなぐ行為
• 合理と非合理をつなぐ行為
• 宗教と非宗教的領域を横断する行為

• 制度の実践論的研究における儀礼の特権的地位へ
• 正当性、パターン化

5  おわりに
• 社会科学的課題
• 動物と人間 儀式化 
ハックスレィ、ローレンツ
• 精神分析 フロイト
• 認知論とその進化
( Whitehouse and Laidlaw eds)
semantic memory episodic (autobiographical) memory
• Bloch 2004  deference

参考文献
• Atkinson,Jane Monnig 1989 The Art and Politics of Wana Shamanship. Berkeley: University of California Press.
• Bell, Catherine1992 Ritual Theory, Ritual Practice. Oxford: Oxford University Press.
• Bloch, Maurice 1989 Ritual, History and Power: Selected Papers in Anthropology. London: Athlone.
• Bloch, Maurice 2004 Ritual and Deference In Whitehouse, Harvey and James Laidlaw eds. 2004 Ritual and Memory: Toward a Comparative Anthropology of Religion. Altamira Press.
• Humphrey, Calorine, and James Laidlaw eds. 1994 The Archetypal Actions of Ritual: A Theory of Ritual Illustrated by the Jainrite of Worship. Oxford: Clarendon Press.
• Huxley, Sir Julian ed. 1966 A Discussion on Ritualization of Behaviour in Animal and Man, Philosophical Transactions of Royal Society, series B 251.
• Tambiah, Stanley Jayaraja 1985 Culture, Thought, and Social Action: An Anthropological Perspective. Cambridge, Mss: Harvard University Press.
• Whitehouse, Harvey and James Laidlaw eds. 2004 Ritual and Memory: Toward a Comparative Anthropology of Religion. Altamira Press.
参考文献 続き
• オースティン、J.L.『言語と行為』大修館
• デュルケム、エミル『宗教の原初形態』
• エリアーデ、ミルチャ『永劫回帰の神話』未来社
• フロイト、ジーグムント 『精神分析入門』
• ジラール、ルネ『暴力と聖なるもの』法政大学出版局
• ロレンツ、コンラート 『攻撃 悪の自然誌』みすず書房
• ラドクリフ=ブラウン、A.R.『未開社会における構造と機能』
• サール、J.R.『言語行為 言語哲学への試論』勁草書房
• 田中雅一1989「カーリー女神の変貌」『国立民族学博物館研究紀要』13(3):445-516.
• ターナー、V.W.『儀礼の過程』思索社

2)黒田末寿「ニホンザルの順位制」
【要旨】
ニホンザル研究の初期(1960年代まで)に、群れ(単位集団)を統合する原理として、順位制、リーダー制、血縁制があげられている(河合1964)。河合(私信)によれば、これらを<制>と名づけたのは今西錦司であり、「制度」のニュアンスを意識したものであったが、1970年代以降<制>は、その内容が議論されないままいつのまにか使われなくなっていった。ここでは、順位制について検討する。
1 順位の安定性
 ニホンザルの群れでは、雄間、雌間それぞれに優劣の順位がある。この順位は安定しており、食物や異性をめぐる競合場面で、優位者優先により争いをさける一種の取り決めのように機能している。優位個体による資源の独占は、半径数メートルの範囲の空間(個体空間)における他個体排除力と、場所への接近の無制約性(移動の自由)による。これに対し劣位者は優位者を避け、食物に対する欲求を自制して、優劣関係が社会行動の規矩として働く(不平等原則)。煎じ詰めると、劣位者が優位者から距離をおくことがこの規矩の要点である。チンパンジーなどの平等原則社会では、この距離が伸縮自在になる。
 高崎山の1955年時における上位のオトナオス44頭の順位関係は、1962、1972年の再調査時にも、離脱・死亡を除くと、ほとんどそのままくり上がって維持されていた(伊谷1987)。順位の安定性を象徴的に示すのが、幸島の群れで餌付け初期にアルファー雄だったカミナリの存在である。このオスが年老いて盲目になっても、その前においたイモやピーナツは、子どもを除いてオトナが取ることはなかった(三戸1971)。これを食物テストと見なせば、カミナリは死ぬまで最優位であった。それを破った子どもは、規矩としての順位関係からははみ出た存在である。
 一方、ニホンザルのオスは群れ間を移籍し、新しい群れに入るときは下位から入るか、群れの乗っ取りや分裂を起こしトップになる。乗っ取りや分裂は小規模の群れが連続して分布する屋久島でよく見られるが、その他の場合は、順位は順に繰り上がっていく。したがって、ニホンザル一般で、順位関係は安定しているといえる。チンパンジーのオスの順位関係と比べると、最も対照的な点は、群れ内で順位争いが起こらないといってよいことで、これが安定性の要因である。
 ニホンザルのメスは群れに残り、母親の支援行動で母親に次ぐ順位になる(川村1958)。メスの順位もいったん確定された優劣関係は維持され、非常に安定しているが、まれに、優位なオスやメスに接近できるようになった下位メスが優位個体をバックに上位のメスを攻撃して順位を上げることがある。
 結局のところ、順位関係は、血縁集団の支援を受けて社会集団の中で確立され、維持される社会秩序であり、きわめて<制度>にちかく、これを<順位制>と呼ぶことは、あやまりではない。その秩序を破る個体がいることも、この秩序がサルたちの一種の社会的取り決めであることを示しているし、また、大多数のサルがそれを破ることなくしたがっていることも、制度に極めて似た性格(「順位もどき」)といえる。この秩序は個体対個体、母系集団対母系集団を越えて、群れ全体を覆うルールという超越的性格を持たないことを除くと、じっさいの機能は案外と制度に近い。これに比べると、チンパンジーのオスの順位関係がいかに仮のもので、意図的であり、人工的なものか、ということになるが、個体の社会関係に関する仮の取り決めという意味で、チンパンジーのオスの順位も制度に近いといえる。もちろん、彼らの順位も群れ全体を覆う超越的性格を持たないから、「制度もどき」のひとつである。
伊谷純一郎1987『霊長類社会の進化』平凡社.
川村俊蔵1958「箕面谷B群に見られる母系的順位構造---ニホンザルの順位制の研究」Primates vol.1:149-156.
河合雅雄1964『ニホンザルの生態』河出書房.
三戸サツエ(1971)『幸島のサル』ポプラ社.

【配付資料】
霊長類の子どもと制度   黒田末寿

1 
○ニホンザルの群れ(単位集団)は、雄間、雌間それぞれに優劣の順位がある。雄と雌の間では、上位クラスの個体では、一般にオスの方がメスより優位であるが、例外的に最優位のメスがαオス以外のオスより優位な群れもある。この順位は安定しており、食物競合、異性獲得競合の場面で、交渉のパターンを決める。すなわち、優位な個体が資源を独占し、劣位個体は近寄らない。この優位者優先は社会交渉のパターンを決め、争いをさける一種の取り決めのように機能している。それゆえ、今西は「順位<制>」と呼んだ(河合雅雄)。

○資源の独占は、見通し、群れの特性(注)、優位個体の性格などの条件によるが、半径数メートルの範囲の空間(個体空間)における他個体排除力と、場所への接近の無制約性(移動の自由)による。離れたところの食物は劣位者が取ることができる。
注:たとえば小豆島の餌付け群は個体間距離がより短く、全体がかたまる傾向がある(河合1964)。
○ニホンザル研究の初期に、群れを統合する原理として、順位制、リーダー制、血縁制があげられている(河合1964)。河合によれば、これらを<制>と名づけたのは今西である。1970年代になって<制>については、いつの間にか使われなくなっていく。
○ニホンザルの順位関係は安定している(伊谷1987)。高崎山で餌付け初期、伊谷はニホンザルの個体の間に好物のミカンを投げ、どちらが取るかで優劣を判定した(ミカンテスト、あるいは食物テスト)。片方が落ち着いて取るのに対し、他方は緊張し、顔を背けたり、姿勢を変えミカンを見ない。特定の2者間ではほぼ決まった方がミカンを取った。伊谷はオトナの220頭程を個体識別、1955年のオス44頭の順位関係を1972年に再調査すると、オスの離脱・死亡を除くと、ほとんどそのまま順位がくり上がっていた。(注)。
注:15-50頭の群れが連続して分布する屋久島では、群れ外オスによる乗っ取りや分裂がしばしば起こる。ただし、屋久島の乗っ取りや分裂はトップの入れ替わりであって、その他の場合は、順位は純に繰り上がっていく。幸島ではナベというオスが上位雄2頭を威嚇しただけでトップになった。ナベの場合は、ナベを含めて3頭のオスになったときで、上位2頭は老齢であった(三戸)。これも例外的で、ニホンザル一般で順位は安定している。チンパンジーと比べると、最も対照的な点は、群れ内で順位争いが起こらないといってよいことである。
○幸島の群れでは、餌付け初期のアルファー雄であったカミナリが年老いて盲目になり弱っていたが、その前においたイモやピーナツは、子どもを除いてオトナの他個体が取ることはなかった(三戸サツエ)。これを食物テストと見なせば、カミナリが最優位になる(<身動きならぬ自制>)。このとき、2位はセムシであったが、セムシはカミナリの前の食物をかすめる子どもを追った。高崎山でも上位オスがイモの山積みを独占しているとき、オトナは近づかず、取ろうとしなかったが、2、3歳の子どもたちは、しばしばそれを取った。子どもには劣位者としての自制はない、つまり、子どもは<順位制>からフリーである。高崎山でイモをかすめた子どもは、オスだった。幸島の場合は不明。
写真は老いたカミナリをグルーミングする子ザル(三戸サツエ)
○子ども(オスだけ?)は、<懲らしめ>によりだんだんと優劣関係を覚え、それにそって行動するようになると考えられた(河合)。
○オスの子どもは性成熟前後に生まれた群れを出る。その後、どのように順位関係をつくっていくのかは明瞭にされていない。他の群れに入るときのパターンは、2型。ひとつは、群れの周辺を他のオスとともにうろうろし、やがてオトナクラスの最下位になって群れに入る。他のひとつは、群れオスと対決し、乗っ取るか、分裂させる。屋久島では後者が一般的に見られる。
屋久島Ko群 M、A、Pは群れ外オスによる分裂、Hは乗っ取りでできた(丸橋)

順位の個体発生
○ニホンザルのオスもメスも1歳になるまでは性に区別なく一緒に遊ぶ。このとき生じる上になる、押さえつけるなどの攻撃的交渉の頻度から解釈すると、生後1--数ヶ月内に母親の順位に平行な優劣関係がほぼできるといわれている(乗越)。メスの場合は、この順位が固定化していく。オスの場合は、みずからの力量で順位を獲得(伊谷)するとする説があるが、群れを出てかつ他個体と一緒に行動するわけではないのでよくわかっていない。
○川村の法則
 メスは群れに残利、母親の順位を受け継ぐが、これは母親の保護行動による。姉妹間で攻撃行動が生じたとき、母親が妹を保護して姉を威嚇するので、3歳までに妹の方が優位になり、この関係はそのまま維持される。母親の順位継承と末子優位を合わせて川村が発見した。
○優位メスの子どもメスは4、5歳になるまで単独では他のオトナに対し優位を確立できないが、年上の血縁メスや母親の応援で相手に対し、優位に振る舞う(場所・食物の獲得)。幸島では次女以下より優位な長女がいた。この長女は、あまり母親と一緒にいず、次女と年が離れていたので、次女と葛藤場面があまりなく、母親から攻撃を受けるようなことがなかった可能性がある。
○屋久島では、古市が末子優位の法則が成り立たない可能性を報告している。古市は、食物資源の分散によって、姉妹間で食物をめぐる競合が生じにくいので、母親が妹を保護することがなく、末子優位が確立しにくい可能性があるとしている。これも、まだ確定されてない。
○幸島では、サユリという最下位家系のメスが最優位のメスにアプローチ・グルーミングし続け、成功したあと、上位のメスを攻撃して順位を上げた(森)。こうした例はまれであるが、優位オスに接近できるようになった下位メスが同様のことをする例も知られている。
○メスの順位の確立は、血縁個体の支援によるものであるが、母子関係から自動的に生じる感があり、伊谷はこれを生物的と解釈した。いずれにせよ、後天的に獲得されるものであるが、’sociobiology’にも馴染むメカニズムであることはまちがいない。
○問題は、いったん確定された優劣関係を関与個体が維持することである。と同時に、それを少ないが、破る個体もいることである。順位関係は、血縁集団であれ、その支援を受けて社会集団の中で確立され、維持される社会秩序という意味では、きわめて<制度>にちかく、これを<順位制>と呼ぶことは、あやまりではない。その秩序を破る個体がいることも、この秩序がサルたちの一種の社会的取り決めであることを示唆しているし、また、大多数のサルがそれを破ることなくしたがっていることも、制度に極めて似た性格といえる(というより、制度の方がサルの秩序に近い。ここからすると、チンパンジーの順位秩序がいかに仮のもので、意図的であり、人工的なものか、ということになる。ニホンザルの秩序は個体対個体、集団対集団を越えて社会全体を覆う超越的性格を持たないことだけで、じっさいの機能は案外と制度に近い。)。
○ニホンザルの順位秩序に子どもは、組み込まれていないが、子どもが秩序にしたがうことができないわけではない。また、遊びでは、一定のルールで交渉することが見られる。