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研究会報告

2011年度第2回(通算第13回)研究会

内容の要旨
チンパンジーの社会に制度的現象を探る
―長距離音声を介した行為接続と「ともにあり続ける/離れて居続ける」という実践に着目して(花村俊吉)

0.発表の目的と分析素材
 発表の前半では、野生チンパンジーの音声相互行為に着目した私のこれまでの研究をもとに、「制度」の進化史的基盤を考察した。後半では、オス間の「順位(制)」との関連について検討した。本要旨は、発表時のコメントを受けて再検討を加えたものである。分析には、タンザニア・マハレ山塊国立公園のチンパンジーM集団(約60頭)を観察して得た資料を用いた。

1.長距離音声を介した行為接続の「形式」と多様な「身構え」
 チンパンジーは複数の両性個体からなる単位集団を形成する。そのメンバーは構成個体が流動的なパーティを形成して離合集散を繰り返す。パーティ間の距離は2kmを超えることがあり、少なくとも数週間出会わない個体どうしもいる。そして、半径1~2kmの範囲に聴こえる長距離音声・パントフート(PH)を用いて、遠く離れた個体たちが鳴き交わしたり、近接個体たちがコーラスしたりする。このPHには個体差があり、条件がよければチンパンジーがその声から発声個体を識別することもあるが、明瞭な指示的機能はない。
 チンパンジーを追跡していると、PHが視界外から1時間に18回も聴こえてくることもあれば、何日も聴こえてこないこともある。PHの聴き手は、応答する場合、たいてい聴取終了後10秒以内にPHで応答する。そして、PHを始発する発し手は発声終了直後10秒ほど、応答しない聴き手は聴取終了後も10秒ほど、じっと動かずにいる(沈黙を示す)ことがある。つまり、発し手は自分の声に対する他個体の応答を、聴き手は聴いた声に対する別の個体の応答を待つことがある。したがって、鳴き交わす二者間だけでなく周囲の聴き手も含めて誰もが、視界外から聴こえたPHには10秒以内で鳴き交わすという「同じ」「呼びかけ-応答」の形式を利用してPHを発声/聴取することがあり、それによって聴覚的な相互行為の場を構成したり他個体どうしの場の様態を観察したりすることが可能になっている。なお、近接個体によるコーラスも1つの「呼びかけ」ないし「応答」として発声/聴取され、応答しない聴き手はその鳴き交わしを1つの「呼びかけ-応答」のセットとして聴くことがある。
 言語を用いて行為の相手や相手の行為内容を指示することの可能な人間が相互行為の場を構成する場合、「呼びかけ-応答」の形式は規範的な身構えで利用される。つまり、「誰」が「どう」ふるまうかについて行為選択の幅が狭く、形式とその特定の利用の仕方が癒着しており、「逸脱」も有標化される。これが、たとえば「授業」や「サッカー」など、複数個体が「同じ」目的/結果を志向して場を組織化する際の人間の(構成的)規則の特徴であろう(統制的規則はこの規則が当該活動の外部に表象された二次的なものである)。
 それに対して非対面下で非指示的なPHを用いてやりとりするチンパンジーは、PHに応答せずに相手の場の様態を観察し、改めて呼びかけて自分との場の構成を提案することもあれば、即座に応答して場を構成することもある。何度PHが聴こえてきても見向きもせず聴き流し続けることもあれば、聴取終了後の沈黙は示すものの応答したり走って向かったりといったはっきりとした行為は接続せずにいることもある。そもそも、発し手が発声直後に沈黙を示さないこともあり、そうしたPHにも応答がなされることがある。つまり、誰もが「同じ」形式を利用することができるのだがその利用の仕方(身構え)は多様であり(規範的ではなく)、行為選択の幅が広い(ただし有限)。その行為選択は、そのつどの視界外他個体および近接個体とのやりとりの文脈に依存しておこなわれ、複数個体が明示的に「同じ」目的/結果を志向して場を組織化することはない。むしろ、「相手の行為の偶有性に身をゆだねる(相手次第)」というプロセス志向的な身構えによって離合集散を「継続」している。そして、PHを聴き流したりはっきりとは行為を接続せずにいたりすることで、PHの聴取範囲を超えて離れて居ることも可能な社会を実現している。
 チンパンジーの「呼びかけ-応答」の形式は、その利用の仕方が規範化した人間の(構成的)規則とは異なるが、その形式を利用した行為の遂行それ自体が「聴覚的な場の構成や観察」という活動を構成している。これを「習慣」と呼び人間の規則との差異化を図ることもできるが、むしろ、規範化していない形式にも規則という概念を拡張し、規則が規範的でない身構えで利用される様態を想像することで、言語を前提としない制度の発生プロセスを探ることができるのではないだろうか。人間も「お喋り」や「(勝敗のない)遊び」においては、当該活動を構成する諸規則をそのつど創出しつつプロセス志向的な(≒規範的でない)身構えで利用しているのである(cf.水谷@制度研発表)。

2.「ともにあり続ける/離れて居続ける」という実践と「順位(制)」
 チンパンジーのオス間には、対面下で劣位者が優位者に発声するパントグラントや優位者がおこなう威嚇誇示などの相互行為から、順位が(まずは観察者である人間にとって)顕在化する。メス間の順位は不明瞭だが、その場で最も優位なオスだとそのメスが「みなす」オスにパントグラントすることで、オス間の順位を顕在化させることもある。これらの相互行為と順位の定義は循環しているが、このことは、順位がこうした相互行為の繰り返しによって(のみ)構成されていることを示している(cf.西江@制度研発表)。そして、PHの始発頻度は概してメスよりオス、低順位のオスより高順位のオスの方が高い。私の追跡個体のなかでも、当時アルファオスであったアロフの始発頻度が最高であった。こうした順位とPHを介した相互行為との関連が本節での分析対象である。
 前節で明らかにしたように、PHの発声によって「聴覚的な場の構成」が可能になるが、「相手次第」という身構えでPHを発声/聴取している限り、発声直後の沈黙を示す発し手であっても応答の不在に「混乱」することはない。しかしアロフは、多数のメスやワカオスとつかず離れず遊動をともにするなか何度PHを発しても応答がないという場面で、右往左往したりグリマス(泣きっ面)したりすることがあった。その際、他個体どうしの鳴き交わしを聴いてもグリマスしていた。こうした「混乱」は、他のオトナオス1頭を含むパーティと合流したあとみられなくなった。つまりアロフは、他個体(とくにオトナオス)の応答を期待して、言い換えれば他個体と「ともにあり続ける」ことを志向してPHを発声していたがゆえに、誰とも場が構成されないことや与り知らぬ他個体どうしの場を観察したことで「混乱」したのだろう。
 このように、チンパンジーも目的/結果志向的な身構えでPHを発声/聴取することがあり、その場合には行為選択の幅が狭くなる。もちろん、PHにはそうした目的を指示する機能はないうえ、聴き手は居たとしても規範的でない身構えでそれを利用するので、複数個体が特定の「誰か」と「ともにあり続ける」という「同じ」目的/結果を明示的に志向して規範的に場を組織化することはない。ましてや、そうした活動が直接的に順位を構成するとも考えにくい。しかし、他のオスたち、またそのオスたちの相互行為を観察したりそれに参加したりするメスたちと「ともにあり続ける」ことは、視覚的に出会って順位を構成するさまざまな相互行為を継続する契機を創出するだろう。そして、他個体がコンスタントにPHを発さない以上、自らPHを発して他個体の応答を受けることなしには「ともにあり続ける」ことは実現しないため、多くの個体に「ともにある」ことを繰り返し選択されることが、アロフのオス間の順位が顕在化することの要件になっていると考えられる。
 一方、PHをほとんど発声せず、数ヵ月から数年に渡って大半の時間を単独ないし少数個体のみと過ごすオスがいる。多くの場合、「前」アルファオスがこうした単独生活をおこない、「新」アルファオスはその単独オスを除いたオスたちの間でのアルファオスであることになる。私が観察したファナナという「前」アルファオスも単独生活を継続していた。ファナナは、アロフを含む大きなパーティの付近で発見されることも多く、しばしば他個体のPHを傾聴していたことから、PHを聴くことで他個体と(離れ過ぎずに)「離れて居続ける」ことを実践していたのだと考えられる。ただし、メスたちのみと出会えばしばし遊動をともにしたり、アロフ以外のオスを含む複数個体たちとつかず離れず遊動してPHを鳴き交わしたりコーラスしたりすることもある。
 こうした状況のファナナが単独で休息しているときにアロフたちのPHコーラスを聴き、応答しかけて「抑制」したことがあった。この場面でファナナは、とくにアロフのいるパーティとは「離れて居続ける」という目的/結果を志向していたため、行為選択の幅が狭くなったのだと考えられる。もちろん、その選択はアロフたちや周囲の他の聴き手には観察不可能であるため、彼らにとってこの行為が「無視」や「ファナナが場を構成しないこと」を意味するわけではない。しかし、始発せずにいたり応答を抑制したりしてPHを発声しないで他個体と「離れて居続ける」ことが、ファナナのオス間の順位が顕在化しないことの要件になっていると考えられる。
 このように、PHを介した相互行為には、オス間の順位の構成に関連する側面がある。その際、「呼びかけ-応答」の形式が目的/結果志向的な身構えで利用されることがあるが、そこでおこなわれているのは「聴覚的な場の構成や観察」という相手次第で成立する活動であり、志向されているのはあくまで「ともにあり続け」たり「離れて居続け」たりすることである。ここに、(発表時の私にもそうした傾向があったように)順位「争い」を有利に運ぶことへの志向を読み込むのは、近代の個人主義的な人間の「順位」観を投影した偏狭な解釈だろう。また、形式を利用する際に「誰」が「どう」ふるまうかについて期待を抱くことは、何らかの目的/結果を志向することであるが、その目的/結果が複数個体に安定的に分有されない限り、形式を利用する身構えが規範化することはないように思える。特定の個体や少数個体が文脈に依存してそうした期待を抱くことがあっても、その期待は当該個体たちを超えて社会化されることはないのである。しかし、こうして規範化の兆しをチンパンジーの社会に探るよりも、規範化していない形式(規則)とそれを利用することで実現する活動との相互構成的側面を探ることにこそ、人間の制度の発生プロセスを解く鍵があるに違いない。


2.制度以前と以後をつなぐものと隔てるもの(北村光二)
1)「制度」とはなにかを、制度以前のサルの側から考える。サルの側にもあるどのような現象に注目して、「制度」と呼ばれるものとの共通点としてなにを問題にすべきかを考察しつつ、一方で、それらがどのような点で相互に異なるものになっているかを考察することによって、「人間社会における制度」を進化論的に再検討する。
2)「制度」の定義として、①アクターの行動に課される制約で、相互行為の不確実性を減少させて秩序を作り出す装置というものと、②アクターの現実理解や行動を意味づけるもので、ある共同体において何が適切な行動であるかを定義し、個人に適切な行動をとることを促す装置というものの二つを考える。これらはそれぞれ、言語行為論を発展させたサールの言う、「規制的規則」と「構成的規則」に対応すると考えられるが、ここでは、①が、私たちの日常的な用法における「規則」に対応するものであり、②が「制度」という語感により近いものではないかと考える。
3)ただし、規制的規則にも構成的な側面があり、構成的規則にも規制的側面を指摘できるのであり、この2種類の規則を厳格に区別すべきではなく、この区別は二義的なものと考えるべきである。そして、規制的規則にしろ、構成的規則にしろ、それらは、人々が生き続けるときに直面する課題に「仲間と共同で」対処しようとして工夫される装置なのだと考えることができる。ここでは「制度」を、そのような装置として考えるところから考察を展開する。
4)直面する課題に仲間と共同で対処しようとするときに工夫される装置とは、直面する課題にどのように対処すべきかについて個人的には判断できない場合に必要とされるものなのだと考えるべきだとすれば、その場合には、対処の対象となる課題の意味の識別にもとづいてその対処のための行為選択が決まるという単純なプロセスが想定できないということになる。したがって、そこには、対処のための行為のあり方を指定するものとしての対象の意味の識別と、対象の意味の識別を規定するものとしての対処のための行為の選択との間に決定不可能な循環的回路が想定されなければならないことになる。
5)このような決定不可能性を無害化して、決定可能であるかのように見せかけるやり方としては2つのものが区別できることになるのであり、1つは、そのときの対処の対象となる課題の意味が、そこで人びとが何をすることになるかという問題とは独立に、「自立した意味」として識別できることにするというやり方であり、もう1つは、そのときの課題をどのような意味のものとして識別すべきかという問題とは独立に、対処のために選択すべき「自立した行為カテゴリー」があることにするというやりかたである。第1のやり方に対応して、「自立した意味」が指定するそのときの対処の行為のあり方についての追加的な「規制」を指定する規則が要請されるのであり、第2のやり方に対応して、「自立した行為カテゴリー」によって秩序が回復されるような対処の対象となる課題の意味を「構成」する規則が要請されるのだと考えられる。
6)「自立した意味」や「自立した行為カテゴリー」が成立していると想定することで直面する課題に仲間と共同で対処できるようになっているかのような現象を、サルの社会現象に探し求めて、「意味論的慣習性」を手がかりとする新しい秩序の生成と「適切さ」の追加的な規制という現象と、「統語論的慣習性」を手がかりとする無秩序の解消と新しい行為カテゴリーの構成という現象を検討しようとした。本発表では、時間の制約から、第2の点について、ニホンザルにおけるマウンティングという相互行為儀礼と、チンパンジーにおける対角毛づくろいを取り上げて、ここでの考え方の妥当性を具体例に即してに検討した。